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ハイセイコー1

不思議なもので、同じところにいて、同じ時間に同じ事をしていても、感じることは違うのである。北海道8日間の旅の心象風景は形を変えた北海道をそれぞれ写している。私たちの北海道はこの夏北海道を訪れたであろう何十万の人の中の、たった三つに過ぎない。

宮田の北海道
「現代は英雄を必要としない時代である。」
ハイセイコーという無敗の馬がダービーで敗れたとき、歌人の寺山修司はそう書いた。

「誰のために走るのか、なにを求めて走るのか」
ハイセイコーが引退してターフから去った後、騎手だった増沢はこう歌った。

「ハイセイコーが引退してしまって、なにもすることがなくなりましたので結婚することにしました。ハイセイコーの子どもが競馬場に帰ってきたときに自分の子どもを連れて応援に行きたいと思います。」
ある若い男は自分の結婚式の日に泥酔してこう挨拶し、新妻の家族から激怒された。

ハイセイコーが怪物と呼ばれたときからもう20年以上が過ぎた。大井の公営競馬から中央の競馬に殴り込んできて、並みいる中央のエリートサラブレッドを撃破して連戦連勝を重ねたこの馬は、本当に多くの人たちの夢を背負って走り続けたのである。そのハイセイコーの敗北は同時に多くの人の夢の敗北だった。
見果てぬ夢の時代。70年代は終わった。日本は高度経済成長の時代に突入し、世界の経済大国への道をひた走るのである。
トライアルでは加藤、黒山、近藤が激しく争っていたときのことである。

競馬の頂点はダービーであると言われている。そして、このダービーを頂点に三冠レースがある。皐月賞、ダービー、菊花賞。この三冠レースに出場できるのは馬が四歳の時だけである。しかも、まだ牧場にいる子馬の時からエントリーをしていなければ出場できない。また地方の馬は(公営競馬。地方自治体が主催する競馬。対して、中央競馬は国が管理する競馬、以前は農林省で今はJRA日本中央競馬会が主催統轄している。)中央競馬に所属する厩舎に転入しなければ出走できない。つまり、地方の厩舎で育てられた競走馬はそこから出て、仮にクラシックレースを制しても、強い馬を育てた地方の厩舎には勝利の美酒は何もないわけである。今年から、この制度が改革されて地方厩舎に所属していてもクラシックレースに出場できるようになったと聞いているがはっきりしたことは知らない。日本にはこの三冠レースを制した馬はセントライト、シンザン、ミホシンザン、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、の六頭だけである。

トライアルに熱中するようになってから競馬場にはぷっつりと行かなくなった。さすらいの馬券師を夢見た僕の「青春」は終わった。ただ、スポーツ新聞で時たま見る競馬欄でこうしたスター馬たちの動向を知るだけになっていた。かつてサラブレッドの血統で埋め尽くされていた「記憶の書棚」はトライアルライダーの名前や記録に変わってしまった。

ある時、オグリキャップという芦毛の馬が地方から中央の競馬に転身し、ハイセイコーと同じように中央の馬たちを相手に大活躍をして大人気になっていることを知った。このオグリキャップはハイセイコーと違いクラシックレースと呼称されるレースには出場できなかった。しかし、クラシックに勝った馬たちを相手に勝った。若者たちが競馬場に押しかけ「オグリ、オグリ」と連呼するのだそうだ。また騎手の武豊もまた同様に観客の連呼の中手を振りながら応えるのである。
僕が競馬場に通い詰めていたときは観衆は息を詰めて声にならない声を上げ、その何万もの観衆の声にならない声がどよめきとなってスタンドを揺り動かすようにこだました。一枚の馬券に託した一人の夢と欲望が手の中からこぼれおちていき、やがて大きく集まり紙吹雪が渦のようにスタンドを舞っていた。

がらんとした競馬場には
十万の人が残していった大きな寂寥が
暮れるにおそい五月の空の下にひろがっている
誰もいなくなったスタンドに立って
自分一人にかえるのは
なんと惨めなことだろう
この淋しさの波紋
このはてしない空虚は
千万の人々を入れるに足りるものだ


-鮎川信夫「競馬場にて」-

時代は変わったとその時はっきりと知った。そして、新たな時代の夢を背負ってオグリキャップも走ったのだろう。僕にはもうその夢がなんだったのか視えない。
しかし、ハイセイコーのことはずっと気になっていた。引退して種牡馬になったハイセイコーに会ってみたいと心密かに思っていたのだがその機会はなかった。ところが、新聞を読んでいるとハイセイコーは種馬としての使命を今年で終えそうだという記事が載っていて心が騒いだ。馬の年齢は人間の年の四倍というからハイセイコーは人間でいうと80歳を超えていることになる。死ぬ前にひと目会いたいという気持ちは抑えられなかった。人の思い入れなぞ理解しがたいものがあるから、今回の北海道取材に同行した加藤と泥には説明しなかった。僕が突然、白老から夕張に行く前に新冠に行くと言いはじめたものだからずいぶん面食らったことだろう。

サラブレッド銀座と名付けられた牧場群のなかを走り、まずオグリキャップのいる牧場を見てみた。さすがに大勢の人がカメラを持って悠然と草をはむオグリキャップを写している。現役時代を一度も知らない僕にはこの馬がどんな馬だったのかはよくわからないけれども、自分が多くの人に愛されていたことは知っているように振る舞っているのではないかと思えた。
ハイセイコーのいる明和牧場は、このサラブレッド銀座のずっと奥にあった。軽い興奮状態のなかで眼を走らせた。すると車を牧場の中に入れた先に一頭の黒い馬が無心に牧草をはんでいるのが目に入った。牧柵に近づくともう消えそうになった字でそれは「ハイセイコー号」であることを記していた。

直に見るのはこれで二回目である。京都の淀競馬場で菊花賞の日にパドックで間近に見たことがある。その姿は強烈だった。黒鹿毛の巨大な馬体は他を圧してビロードのように輝いていた。
僕は給料の大半をこの馬の単勝に賭け、そして鼻差で負けた。
今、21年ぶりに見たハイセイコーはそんな他を圧するような風情ではなく、悠々として優しげだった。黒光りはしていないが大きな体は昔のままである。所々に泥浴びのせいだろう土が体についている。しかし、筋肉が隆々としたかつての姿はそこにはなくよく見ると首さしのあたりには明らかに老齢から来る弛みも見える。柵の外から僕はどうしてよいかわからなかった。馬にどうやって声をかけてよいかわからないのだ。
するとこちらの気持ちを察したわけではないだろうが、ハイセイコーはゆっくりと草をはみながら近づいてきた。僕は初めてハイセイコーに手を触れた。思わず目頭が熱くなっているのに気がついた。これはいかん、と思いつつもこの過剰な感情を抑えるのは難しかった。

僕はあの時代、自分の何をハイセイコーに重ねようとしていたのだろう。自問すると未だいつもの軽い混沌に目眩を覚える。

しかし、突然こみ上げてきた過剰は、愛惜すべき僕自身の時代があったことを教えてくれた。そして、ハイセイコーが自分の体に触れるのを許してくれたとき、僕は僕の愛惜すべき時代ともう和解すべき時期がきたと思った。

トライアルとは関係のない話を長々と書いたのかもしれない。
「競馬は人生の比喩である」と寺山修司は言ったが、トライアルに熱中していたときターンやステアの練習を繰り返しながらこの言葉を時々思い出していた。
だが、今は「トライアルも人生の比喩たり得る」と言うために、どうしても自分自身で書き留めておきたかった。

北海道の空は高かった。ひょっとするともう夏は駆け足で過ぎていっていたのかもしれない。全日本を久しぶりに見たとき今までとはなにか違う涼感をともなって見られたことが嬉しかったことも、付け加えておきたい。

<トライアルジャーナル no.130 1995年10月号掲載記事>
雑誌に初めて自己史的なことを書いたときの記事。編集と営業の三人がそれぞれ北海道に取材した時のことを記事にした。トライアルという趣味の世界を仕事にしてしまった事に対する屈折した引け目をずっと感じていた。そのことをようやく払拭した時期に書いた。だがこの後、掲載した雑誌の運命は短かった。


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SilverMac

競馬は全く経験がありません。貴族的な賭け事ですね。
by SilverMac (2009-04-27 14:34) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
競馬はもう遠い夢のような世界になりました。だけど時にNHKでダービーを観る時があります。一年に一回の事ですね。


by miyata (2009-05-01 03:21) 

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